秋らしい秋、晴れ爽快な空。
「うむむむ、外の世界は輝いてるな~。」
昼過ぎまで寝ていて、第一声がこれである。
衣食住が満たされているから、言える言葉だ。
ちょっと、いや、かなり自堕落ではないだろうか?
■ ADHD大ちゃん 改善日記 : 2017年11月5日
そんなことを思いつつ、今日も起床する。
マイスリーの分割飲みも慣れて来た今日この頃。
そろそろ、以前の日課(課題)もやりたいなぁ~なんて考えたりもする。
ただ、今までの傾向だとここで行動しだすと、
後々ダウンするのではないかと恐々だ。
それでも
「ムリはしないが、挑戦はしないと」心が訴えるのだ!しかし、意欲に対して体が付いていかないとは、
自分の体ではない様に思えてしまう。
自分が別の体に入ってしまったような、違和感を感じてしまうほどだ。
今日は休暇、そう決めて過ごすのだが・・・。● 衣食住とは 『本当の意味』 大切さとは自堕落生活を続けていると、改めて衣食住のありがたみを感じる。
私が1人だったら、恐らく生活そのものが、立ち行かなかったであろう。
家族がいて本当に良かったと思う。
ただ、当たり前に思っていないだろうか?
衣食住があることに、『当然』過ぎて気付けない。
人として生まれて来て一番大事な物は何か?
自分?家族?恋人?友人?それとも、お金?答えは個々によって変わると思う。
私は、環境だと思っている。
自分を取り巻く現状。
家族との生活。
恋人との距離間。(過去形)
友人との付き合い方。
『人が人らしくある為の環境がある』ということが一番大事だと思う。
私は、人が人らしく生きるための土台(環境)があってこそ、自分が自分でいられ、人に対しても想えると考える。自分に余裕がなければ、人に目を向ける事も難しい。自分が満たされなければ、与える事も難しい。衣食住があっても環境次第と考えるのだ。
私が、ADHDであろうが、双極性障害(躁うつ病)躁鬱だろうが、
人として想う事は変わらないはずだ。
健常者に対して、『健康で真っ当でいいな』と思うのは当然だと思う。
私がよく言う、「仕事良いな」・「動けて良いな」も、劣等感から生まれる物である。
劣等感とは、比較する対象があって生まれるものだ。相手に有って、自分に無い。
劣っていると比較できる環境があってこそだ。
比較するそのものが無ければ、劣等感を抱く必要もない。
しかし、人はそう簡単に優劣を捨てられるものではない。
優劣を付けたがるのも人だと思う。
生まれながらにして得ている人には、きっと伝わらないだろう。
初めから持っていれば、きっと気付けないからだ。
裕福な家に育てば、貧困な家での生活は、
その状況になるかでもしないと、想像でしかない。
うつ病についても、なった人しか分からないし、ADHDについても一緒だ。
例えば着るもので値段が良い物であれば、
そこでセンスの良さを伝える人も居れば、
『自分の服を隠す人も居る。』もちろん、服の優劣でその人のなりが決まるわけでは無いが、
ただその開きが大きいほど、互いを知るきっかけは減るだろう。
子供だろうと大人だろうと、自分と近い人と接にするのが、
人だと思っている。
それは、
「相手と比べ恥を掻きたくない」自己防衛のための行動だと思う。
『食事はどうだろうか。』好んで口にするものは?
自炊? 惣菜? 外食?
肉派? 魚派? 野菜派?
1食当たりの金額は?
これだけでも、好き嫌い・家庭構成・経済面で差が付いてしまう。
ステーキや焼肉が、誕生日だけの人もいれば、
月一やそれ以上に食べている人もいるだろう。
しかし、人によって羨ましいと感じていても、
実は当人にとっては、嫌いな食べものかもしれない。
相手に思うことと、当人が思っていることが、
必ずしも一致するとは限らないのだ。
そして、それを当人に伝える事はけして無いのだ。
言葉にすれば、
「羨ましいと自分が傷つく」可能性があるからだ。
『典型的な例なら住居だろう。』見ただけで判断できる。
大きさ・広さ・華やかさ・地域性など、
まるでその人そのものを象徴とするかの様だ。
住居が良い = 生活ランクが高い衣服も食事も良い物と考えるし、大体そうである。
まあ、中にはムリして買って・借りて、
生活水準を落としている人も居るかもしれないが、
それが表面化することは少ない。
あそこの家は、凄い! でも自分の家は・・・
目にする度に、
「惨めな思いをする」だろう。
ただ、こうも想うのだ。● 衣食住の優劣を決めるのは、自分だ!少なくとも着るものがあり、
毎日食事が出来て、
雨露しのげる住処がある。
質の差があるだけで、皆、同じ生活をしているのだ。裕福だろうが、貧困だろうが、
本当の優劣を決めるのは、当事者だ。私が相手に対して決めることでもないし、第三者が決めることでもない。自分が恥ずべき行為をせず、
品位ある生き方をしていれば、
胸を張って前を向けると思うのだ。
そう思えば、優劣で悩むことが、如何に無駄か分かるだろう。
衣食住が在るだけでも、幸せと思えないだろうか?
もし、当たり前にある衣食住が、一つでも欠けたらどうなるだろう・・・
取り巻く環境が維持できなくなる。
それが、一番怖いと考える。
『今日着る服が無い。』『明日の食事が無い。』『もう帰る家が無い。』でも、これだけを阻止出来れば、人として生きて行けると思うのだ。
● 衣食住が満たされた、自堕落生活だとしても毎日が休み。
その中でも、休暇をあえて設定してる。
以前お伝えしたが、
『休み』と
『休暇』は私の中では、異なるものだ。
私にとっての平日は休むことが仕事だ。
休日とは、平日にやるべき事を行った・頑張った人へのご褒美だと思う。
私が最近ちゃんと結果が出せているかと言えば、難しい所だが・・・
「模索中」と聞こえのいい言葉でしめるだろう。
今回の休暇は、問題点の洗い出しと課題化だ。
人は、今の私を見て、
「自堕落な生活だな」と思う人が多いと思う。
実際、私も自堕落だと思っている。
ただ、無駄な自堕落とは思わない様にしている。
今の私は休むことが仕事だ。睡眠を取る事が仕事だ。それが、双極性障害(躁うつ病)躁鬱の対処として、
最も早い解決方法だと信じているからだ。
衣食住が在るから言えることだが、
元気になる事こそが、今の私にとって最優先なのである。この環境が必要なのだ。
だから、
大いに自堕落に過ごすことが最上の策であろう。
私は、胸を張って
「自堕落に過ごしている!」と言える。
それが、心の余裕に繋がるし、優劣に悩まず、
次の新しい選択を与えてくれるからだ。
決して、恥ずべき行為ではない。羨ましい・・・でも放さないヨ衣食住自堕落生活 : MAYU 「一途な片思い、実らせたい小さな幸せ。」 うたたP